竹内街道(たけのうちかいどう)
散策コース<徒歩約12km>
磐城(いわき)駅…長尾神社…綿弓塚・竹内集落…竹内峠…竹内街道歴史資料館…孝徳天 皇陵…科長(しなが)神社・小野妹子墓…推古天皇陵…用明天皇陵…叡福寺…上ノ太子駅
大和には長い歴史を刻んできた古道が縦横に走っている。このうち日本最初の官道として開かれたのが竹内街道である。『日本書紀』の推古21(613)年「難波(なにわ・大阪)より京(みやこ・飛鳥)に至る大道を置く」と記されているのがこの道。仏教が伝わって以来ますます盛んになった大陸との交流に対応するため整備されたもの。
竹内街道は中国や朝鮮半島のすぐれた諸文化を飛鳥に運んだ道である。海外からの使節やさまざまなジャンルの技術者たち、あるいは遣随使たちが往来した国際色ゆたかな“外交の道”であった。また『日本書紀』には海外からラクダが贈られた記事が何度か見えるから、はるばる海をこえてきたラクダもこの道を歩いたかもしれない。沿道の人々は珍しい“使者”にさぞ驚いたことだろう。 都が平城京さらに平安京に遷されると“外交の道”としての性格は失われるが、太子信仰の道、経済の道として利用され、江戸時代以降は伊勢参り、大峰参り、西国巡礼の道として賑わったという。 散策コースのうち二上山越えの一部は車が行き交う国道166号線を歩くが、ほかは昔ながらの雰囲気をたたえた道である。ことに奈良側の竹内、大阪側の山田や春日集落は古道の面影を色濃く残し、古い民家や道標など情緒あるたたずまいを今に伝えている。
芭蕉と竹内集落
芭蕉は門人の千里(ちり)が竹内出身だったことから幾度かこの地を訪れ数々の名句を残している。中でも有名な「綿弓や琵琶になぐさむ竹の奥」の句碑が集落の中ほどにある「綿弓塚(わたゆみづか)」にたてられている。一帯は庭園風に整備され、かたわらの古民家が休憩所として開放されている。 このあたりから竹内街道は坂道になり、両側には街道筋らしい家並がつらなる。大きな大和棟や美しい格子、カヤ葺き屋根や棟上の松飾りなどは奈良ならでは。集落がつきるあたりはかなりの高所で、民家ごしに大和三山や三輪山が望見できる。
うぐいすの関
竹内集落からしばらく国道166号線を歩き、上池脇で分岐する細い旧道に入る。国道と平行しているが木々にさえぎられて騒音はとどかない。竹内峠まで昔ながらののどかな道が続く。 竹内峠は大和と大阪の境界で、古くは「うぐいすの関」と呼ばれた。峠の西にある孝徳天皇陵は鶯陵(うぐいすのみささぎ)の別名があるから一帯は、はるか昔からウグイスの名所だったのだろう。この関は明治の中ごろまで宿屋や茶店が立ち並び街道の要所としてにぎわったそうだ。今は石碑や説明板、ベンチなどが配されて格好の休憩ポイントになっている。 上池の西にうねくねと連なる丘陵は三ツ塚古墳群である。このひとつからわが国で初めてという鹿皮製のとびきりオシャレな「ポシェット」が出土して話題になった。
竹内街道歴史資料館 交通=喜志駅→金剛バス六枚橋下車
孝徳天皇陵のすぐ東にある。竹内街道の歴史・文化を分かりやすく解説した資料館。「石の道」「わが国最古の官道・大道」「太子信仰の道」「庶民の道」といったコーナーのほか、街道周辺の主な遺跡の紹介など時代とともに、さまざまな表情を見せてきた街道の姿が発掘出土品や模型、映像などで展開されている。ことにタイムトラベルを体感できる映像システム、マジックビジョンが面白い。
お問合せ Tel 0721(98)3266 竹内街道歴史資料館
二上山
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大津皇子墓
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二上山の石
叡福寺
竹内街道周辺の
古墳群
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聖徳太子御廟
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孝徳天皇陵
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推古天皇陵
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用明天皇陵
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敏達天皇陵
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小野妹子の墓
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