吉水神社(よしみずじんじゃ)
もとは吉水院といい金峯山寺の塔頭寺院のひとつ。太閤秀吉の花見を追体験できる場所。
もとは吉水院といい、金峯山寺の塔頭寺院のひとつだったが、明治の神仏分離によって神社となった。尾根道からぐいと突き出た峰にあり、入母屋造り桧皮葺(ひわだぶき)の書院建築で室町・桃山と二つの時代の様式を合わせた独特の構造の書院が残る。この書院は源義経がともに逃れてきた静御前(しずかごぜん)との涙の別れのあと、弁慶とともに隠れた場所。後に後醍醐天皇の行宮ともなった。
また、豊臣秀吉が大勢の大名たちとともに吉野山の花見にくりこんだとき、本陣としたのもここである。義経潜居(せんきょ)の間、弁慶思案の間、後醍醐天皇の玉座の間が残されている。秀吉が花見にそなえて修復させたという玉座の間は、桃山風の華麗で細部まで凝った造り。
義経が着用したという色々威腹巻(いろいろおどしはらまき・重文)をはじめ武具、古文書、各種能面など宝物は数多い。
庭ごしに蔵王堂の大屋根が見え、南の窓からは春なら中千本、上千本の桜が一望できる。
境内には、中千本・上千本一帯が展望できる「見わたしの いとよき所」があり、ここに立つて谷から吹き上げる風を頬に感じる時、ふと義経・静御前の悲しき別れや南朝の哀史が聞こえてきそうな気のする詩情豊かな広場があります。又「桃山時代の小庭園」もあり遺跡として「義経駒つなぎ松跡」「義経馬蹄跡」や「弁慶力釘」がある。
| ↑このページの上に戻る |
| ←スポット情報トップページへ |